居酒屋を閉店しました

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保健所の許可はとっていたのですが、ライダーハウスの集客に依存していた居酒屋を閉店することにしました。

さいごのビール

始まりは10年前。2009年に、それまで3年やっていた兄との居酒屋とライダーハウスを閉鎖。それから美瑛のライダーハウス蜂の宿を借りることができたのでした。

- ライダーハウス蜂の宿
3月28日 最後の配達をやり終えて、美瑛の農家で冬季増区に来ていた竹さんとちょっと話し、制服をクリーニングに持っていって、旭川の荷物を車につめて美瑛へ。  もう何回も往復したけれど引越しというのは本当に大変で結局よていより1週間もかかってしまった。 日曜日に友人の車を借りてリサイクルショップに行きソファとレンジを買う、...
最初の状態
10年まえ

それができたのも、ここに電車があったからです。ライダーハウスを借りにきたつもりが「つかっていいぞ」と電車を軽く貸してくれたのでした。

電車は飲食店として使われていて、何も改造することなく、居酒屋をオープンさせることができました。

幸い地元のお客さんも来てくれて、ライダーハウスと居酒屋は車の両輪のごとし、なくてはならないものになりました。

地元のお客さんがいないときは、ライダーが来てくれて、ライダーがいない時期は地元のお客さんが来てくれる状態です。

4月から10月ぐらいまで営業して、冬の間は郵便局などにアルバイトに行っていました。1度だけ、居酒屋の冬営業もやったことがありましたが、寒さには勝てず、夏だけ営業を続けます。

基本的に1人でやっていたので、あまり大人数には対応できませんでしたが、ザンギ丼の誕生によりオーダーがばらけず、上手く回るようになったと思ってます。やればやるほど、動きが練られて、どんなオーダーにも対応できるようになりました。

自分のレベルが上がっていくのを実感できます。自分の作った料理を、自分で食べることができないので、答えは常にお客さんの表情と、残ったお皿にありました。特にザンギ、ラーメン、餃子は好きな料理で、常に全力を尽くすことができたと思ってます。

メニューでいえば、チーズが苦手なお客さんがいて、その人の為に和風リゾットを作ったら、爆発的に売れたということもあります。こんなこともあり、自分で全部やるのが楽しかったのです。反応がダイレクトですからね。

「一生、飲食店の仕事をしたいなあ」と思っていたのですが、ライダーハウスができないとなると、それは甘い夢です。ライダーハウス部分をぜんぶ撤去して、観光客目当てのカフェなどやるのでしたら、可能でしょう。しかし、私の持っているものはライダーハウスに併設された居酒屋というスキルのみ。とても観光客が喜ぶようなものは作れません。

それに、ここの土地を購入する計算もできません。数年ほど、がっつり働いて、まずはここの土地を買う。それから、次の手が打てるのだと思います。

ということで、居酒屋「まる」を閉店することになりました。店名は桂バクザン先生の「まるというのは、書でも難しい。だけど、不思議なことに、子供ほど良いまるが書ける」という話から。初心忘れるべからずというか、下手なテクニックなど無いほうが良いという意味でしょう。

土地を買うためには、その料金を皿に乗せねばならず、それは料理にも出てしまいます。素人が作る、金のための料理って最悪。「喜んでほしい」「驚いてほしい」という最初の気持ちだけで作りたいです。その為には、閉店は必然でした。

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元ライダーハウス蜂の宿管理人のブログ

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