小説の練習:ダイヤモンドプリンセスの暴力と病の伝染

小説の練習

俺は今大海原を眺めながら煙草を吸っている。潮風は生暖かく、ウミネコがにゃあにゃあ鳴いていた。眼下を見下ろすと100mはあろうかというまっすぐな壁。高所恐怖症の俺にとってはややぞっとする光景だ。もし、落下したら海面はコンクリートのような硬さとなり、俺の全身を粉々にするだろう。尻がキュウー!っとするが、それでもこんな気晴らしをしていないと気が狂いそうだからやっている。ウィルス患者が発見されたのだ。

世界中に蔓延し、一体これから何人死ぬかわからない。そんなウィルスが中国で発見されて、俺は「たいへんだなあ・・」と思っていた。オーストラリアまで行くというクルーズ船に乗り込んだのは仕事が止まったから。円ベースで生活する俺にとって、東京オリンピック景気がひと段落する気配があり、余計なリスクを背負い込むよりも、のんびり船旅をしながら次の仕込みをするほうが人生のQOLを上げると思ったのだ。

妻はそれに賛成したが、どうしても仕事が終わらずに沖縄からの乗船となった。これは不幸中の幸いだと言える。同じところに5秒といない女だから、この環境になったら「飛び込み姿勢を間違わなければ大丈夫!」と海に飛び込んでいただろう。

乗員3000人という巨大なクルーズ船に乗り込んだ時は楽しかったね!過剰なまでに豪華だったし、メシは贅沢の限りを尽くしているし、プールが2個あって、客はみな上品だ。子供ですら日経新聞と英字新聞を読んでいて、次期アメリカ大統領選について意見を交わしているのを見た時は驚いた。エリートを培養する環境ってのは、こうゆうのを言うんだろう。たかがミニマムな投資家の俺としては、まったく異質な世界だと思った。

施設の豪華さに比べてやや残念だったのは、船室の狭さだった。まあ、上の部屋だったら違うんだろうが、俺が使うような部屋はビジネスホテルと大差ない。ネットは使えるが、ひきこもるにはちょっとキツイ環境だ。それよりも、ラウンジに出て世間話などした方がいい。次の仕事の肥料にもなるだろう。

例えば、1つ上の部屋を取っている船井さんがいる。彼はバンカーで次の投資銀行にヘッドハンティングされ、来月から働くという。俺にとってコバンザメのサメのような人だ。できるだけ頭の良さそうなフリをしながら、コバンザメこと俺は彼に接触した。サメは俺の仕事を知ると「ああ・・」とやや憐れんだ表情を一瞬見せて、すぐにそれを打ち消した。ジェントルな笑顔になり、ブリクジットについて俺の知らない情報を教えてくれた。

何時間でも彼の話を聞いていたかったが、彼の妻が表れてその空気は完全に彼女のモノになる。世の中には、その場の空気を支配する女がいるのだ。彼女中心に話題はシフトし、俺のエキセントリックな妻の話題になったところで場は解散した。

安田さんについても語らねばならない。ディナーで隣の席になったので、なんとなく話しかけた彼は、見かけはそこら辺の大学生に見えた。とてもきれいな格好をしていて、男1人だったから、この船では珍しい。年齢を聞くと29だという。彼は大学生の時に起業したネット広告を最適な箇所に表示するビジネスをM&Aで売り払い、そのイグジットで次の起業を考えているという。腕時計を見たらフランクミューラーだった。とんでもない金持ちだ。彼は1人の静かな時間を求めて乗船したけど、やっぱり人恋しい瞬間があるから話しかけてくれてうれしいといった。

笹川夫婦は高齢で、長いこと開業医として働いていたらしい。70過ぎというが、とても健康そうに見える。奥さんも医者で内科医だという。「この船なら運動不足にならん」と笑っていた。つまりは、部屋にこもるのは飽きたらしい。

子供とも話した。まだ15歳という青木くんは、どこか他人を信用しないような、警戒した表情だった。彼と出会ったのは本棚の前で、読むべき本を探しているようだった。「どんな本が好きなの?」「美しさ、みたいなやつ」というので三島をおすすめする。幸い、青木君はまだ三島を知らなかった。親に連れられて乗船したが、つまらな過ぎて吐きそうということだ。

俺は青木君をいい子だとおもった。彼に三島をおすすめできたのは、俺のナイスプレイだったと信じている。だが、結局は彼からすべてが始まったのだ。

コロナ患者発見

3000人もいるクルーズ船で生活していると、まるで町にいる感覚になる。1週間が過ぎたけど、まったく知らない人ばかりで面白かった。ちょっと散歩するだけで、様々な人間と出会うことが出来る。

我々に共通しているのは、たいくつだということだ。いくら豪華客船といえど、生活圏はほとんど同じ作りになっている。散歩して新しい景色に出会うことは無い。だからおしゃべりがタイクツしのぎに最適だった。ネットよりも早く、噂話を耳にする。例えば「中国で発生した新型ウィルスにHIVの薬が有効らしいよ」と笹川奥さんが話してくれた後、ネットニュースでその話題を発見したときは驚いた。

豪華客船は様々なジャンルや業界のトップランナーだった人が大勢いたので、そのようなものだと後でわかった。船にのっていながら、地上にいる誰よりも早く情報を手に入れることが出来る。1人1人にインタビューして、写真付きのコラムにすれば面白い本が出来るだろう。

だから笹川奥様が「ひょっとしたら、私達もうお会いできないかもしれないわね」と淋しそうに言うのでぞっとしながらも「なぜですか?」と聞いた。「船員の1人が、どうやらキャリアだったらしいのよ」キャリア、警察官僚とか経歴という意味ではないだろう。「どうなりますかね」「わからないけど、専門のスタッフと隔離が必要だと思うわ」「そうならないといいですね」「そうね、まだ決まったわけじゃないでしょうね」

悲しそうな笹川夫人の顔が物語るように、ウィルスに罹患した船員の発見、隔離したことが伝えられた。この時はまだ「ああ、そうなんだ、かわいそうに」と俺はのんびり構えていた。きっと次の寄港の時に降ろされるんだろう。それまでどこかの部屋に閉じ込められるのかな?ああ、かわいそうに。だが、間違っていた。閉じ込められたのは私達だったのだ。

船長による謝罪文

「この度はダイヤモンドプリンセス号にご乗船いただき誠にありがとうございます。さて、ただ今流行の兆しを見せている新型コロナウイルスが本船でも発見されました。つきましては乗客の皆様のご健康を配慮いたしまして、感染者との接触を防ぐ措置を取らせていただきます。

1.お客様は決められた時間以外は船室から出ることはできません
2.食事は船員がお届けさせていただきます
3.お客様の判断で下船することはできません
4.体調の悪い方から下船が可能になります
5.医師による検診を受けていただきます
6.部屋から出られるのは各フロアにて時間を決めさせていただきます

これは厚生労働書による決定事項です。大変恐縮ですが、従っていただきたいと存じます。

監禁生活

俺は辞めていたたばこを再開した。あまりにやることが無かったからだ。

外出は1日に1時間。部屋ごと順番に行われた。医師による診察、欲しいもの、今の希望、ストレスを感じるか?あたりまえだ、バカヤロウ。小説や週刊誌の類は、個別に送られてきた。本棚にある本は、ウイルスが付着している恐れがあるから触れない。壁も、手すりも、床もだ。

食事は病院のようなワゴンに乗ってやってきた。ブザーが押される。外に出る。ハイどーぞ。はいどーも。豪華客船らしく、それなりに美味いが、メシというのは運動してこそ美味いのだ。散歩して、知らない人と会話したり映画を見たりするから腹が減る。これはただのエサだ。

妻に「タイクツ過ぎて死にそうだ!」とメッセージを送ると「大変だけど、頑張って!何か送りたいけど、なんかムリっぽいんだよね」と帰ってきた。ウイルスが付着している可能性があるものは、すべて廃絶されているのだ。

毎日、寝て、起きて、飯をくって、排せする。そこに、一服する、を加えたくなるのは自然な事だろう。窓を開けて、手すりに寄りかかり、遠くを眺める。煙草を潮風に乗せる。遠く遠く、霧散していった。

「煙になりたい」と俺は呟いた。

「私もです」と声が聞こえた。

ウミホタル族

俺は驚いて「うわっ!」と声を出しそうになった。「申し訳ございません、となりの者です」と声が聞こえた。お隣も窓を開けていたのだ。

「これから、どうなるんですかねえ・・・」と俺はバクバク鳴る心臓を抑えて言った。「まったく、わかりませんねえ」とお隣が言う。この声は・・・「笹川さんですか?」「あはは、そうですよ」顔を良く合わせていたから、同じフロアだと思っていたが「そうですか、お隣でしたか」と言った。

顔が見えないから奇妙な感じだったが、声だけでも医者と言うのは人を安心させるようだ。俺はたばこを吸いながら雑談する。医療従事者的見地から、今回のウイルス騒ぎの先を聞きたかった。「わかりません、まったくわかりません」とのことだ。

ウイルスは突然変異で形を変え、それが人間の抵抗や免疫を突破する物が生まれる可能性は十分にあったという。致死率はとても高く、これからどうなるかわからない。重篤にならない限り、船から下船するのは難しいだろうと。

俺は笹川医師の話を聞きながら、心が安らぐのを感じた。これから何が起こるかわからないが、医者の言うことに従っていれば大丈夫だろう。だが、翌日から笹川夫婦は船から消えた。

ノックノックさようなら

笹川夫婦が船から消えたことは俺が最初に気付いた。60分の室外活動のあと、隣の部屋をノックして順番を告げるのだが、何時まで経っても返事が無い。不思議に思って船員に「返事が無いんだが」というと「じゃあ、その隣の部屋に回してください」とめんどくさそうに言われた。

どうしちまったのだ、俺は2つ隣のドアを叩く。名前が張り出してあった。aoki。ああ、青木君か。ノックノックして「順番ですよ」と伝える。「・・・はい」と返事があったので部屋に戻った。

後で知ったのだが、青木君はご両親と船に乗っていた。高校受験に失敗し、不本意な地元の公立校に通う青木君はいじめに遭い、不登校になっていた。でもまあ、そんなことはどうでもいい。俺は、青木君をこんな客室に閉じ込めるべきではなかったのだ。俺は後日、裁判の傍聴席で、そう思った。

ご両親は「元気づけ」の為に、我が子に広い世界を見てもらいたい。そんな気持ちだったのだろうか。それは青木君にとって自らの失敗や屈辱を塗り重ねるような行為だと思う。お前がダメだからこんな船に乗せてやっているんだぞ。頭が悪いから、学校に行かないでもいいんだぞ。できそこないだから、親の力に守られているんだぞ。そんな悪魔の揺りかごがこの船だ。

極限まで青木君のストレスは高まった。彼の事を理解できる人間は1人もいない。誰しもが成功者であり、青木君のような失敗をしない大人なのだ。俺は違うぞと彼に言いたかった。だが、不幸なことに、彼の順番は俺の次なのだ。時計回りに自由行動を与えられるこのシステム、最悪。

青木家の自由時間が終わると、青木君は「俺行ってくる」と隣の船井さんの部屋をノックした。船井さん夫婦が外に出ることを、青木君は笹川さんの部屋のドアから確認して忍び込んだ。笹川さんんの部屋のリッチな作りに青木君は驚いたと思う。そして、自分との境遇の違いにまた恨みを深くした。完璧に逆恨みなのだが、青木君の攻撃性はここで発露されたのだとおもう。

奥さんの服やドレス、下着などを青木君はすべて引き出し、揉み、抱きしめ、投げ出した。窓を開けて、海にブラを投げた。自慰をして、下着に射精した。ささやかな復讐だった。

それが惨劇に変わったのは、忘れ物を取りに奥さんが部屋に帰ってきたからだ。

船井妻と青木君の罪

爆発したかのように散らかっている部屋の中心に青木君を発見した船井さんの奥さんはその状況を一瞬で理解したのだと思う。怒りと混乱を数秒で心の奥に沈めて、15歳の少年にほほえみながら近づいた。この時の青木君の心情は察するに慮る。叱られると思ったら、抱きしめられたのだ。

俺は、この行動をとった船井妻の選択を褒めることはできない。青木君が獣になって、襲い掛かり、それを受け止めた船居妻。大きな声で旦那や船員をすぐに呼べば、彼にさらなる屈辱や罪を与えると考えたのだろう。

彼女の上で腰を振る青木君が後頭部に衝撃を感じて倒れ込んだ。そこには船井さんが立っていた。妻が襲われているのだから、当然の行為だ。ただ、手に取ったものがねじ込まれていた花瓶で、とても攻撃力が高いものだった。

青木君をなぐってしまった船井さんが、暴力に慣れていなかったのも不幸なことだった。異常な環境で、妻が襲われていて、武器になりそうなのがそんなのしかなかったという要因もある。15歳の、まだかたまりきっていない頭蓋骨に、たっぷりの力を込めて振り下ろしてしまったのだ。

やってしまったことが信じられない船井さんのところにやってきたのは安田さんだった。「なんか、時間だったから」と言う。そして現状を把握した後「ウイルスのせいにしよう」とアイデアを提案した。

青木君の偽遺書と凶器と暴力の伝染

「みなさんへ

僕はウイルスにかかってしまったようです。これからウイルスをばらまいて生きていくことはできません。責任をもって死のうと思います。ありがとうございました。」

青木君のスマホにこうかきこんで、安田さんと船井さんは笹川さんの部屋から死体を海に投げた。まともな行為じゃない。いくら夜で見えないからって、すぐにわかりそうなものだ。外傷はどうするんですか?と船井さんは安田さんに聞いたらしいが「これだけ高かったら粉々だよ」と海面を指さしたという。

なぜ、そこまで安田さんは船井さんに手を貸すのか?彼はいろいろな理由を述べた。「ビジネスパートナーとして最適だとおもった」「困っている人を助けたかった」などと理由を述べたらしいが、私は最後に言った言葉が怪しいと思っている。

「奥さんとやらせてもらおうと思った」

「退屈だった」

彼らの問題点

彼らの犯罪には大きな問題点があった。俺だ。安田さんは船井さんの奥さんとのセックスを楽しんだ後「ってかさー、船を降りてもいいけど、危険だよね」と言う。ニュースを見るにウイルスの上陸を政府は防げていないし、どこから感染するかもわからない。

「だったら、この船にいる方が安全じゃね?」と安田さんは言う。「だが、こんな生活をいつまでも続けられない」とちょっと頭の壊れた船井さんが言った。最初っから壊れている安田さんは「じゃあ、皆殺しにしよう、だったらこのフロア自由に使えるじゃん」と提案する。

やり方は簡単だった。部屋をノックする。人が出てくる。背後からガン!海のドボーンは疲れるし、すぐにばれるから、そのまま部屋に安置した。

ノックノック、がちゃり、ガン!
ノックノック、がちゃり、ガン!
ノックノック、がちゃり、ガン!

「ってかさー、こいつら絶対罹患してるよね」と安田さんは言う。「だから、いま殺した方が、皆のためなんだよ」と「あはは、そうですね」と船井さんは答えた。

EXIT

俺は、煙草を吸いながら自分の置かれた環境を把握することが出来た。この異質な音。特に下の階から聞こえてくる悲鳴。奪い合い、セックス、レイプ、獣になった人間の声。「お前ら、皆、キャリアだろ!!」と叫んでいる声も聞こえた。

そして、エサも回ってこず、隣の部屋から死体が投げ込まれたのを確認した。まちがいない、狂気が船を支配している。船長や、警察に連絡しようと思ったが、彼らがここに来る前に事態が収束しているとはちょっと考えにくい。そもそも、警察は船に乗れるのか?集団感染しているウイルスの船に。

「トントン」

ドアがノックされた。

「トントン」

もう1度ノック、「はーい」と小さな声で返事した。

「高橋さん?順番ですよ」

「あれ?安田さん?」

「そうですよ」

「俺の隣どうしたんですか?」

「皆船を降りたんですよ、高橋さんも降りられますよ」

どうすればいい?俺は決めかねていた。頭の中にはたった1つだけ方法が浮かんでいた。この状況を打破できるたった1つの方法だ。だけど、それを試す気にはなれない。とりあえず、ドアを開けて船井さんの顔を見ることにした。

「本当ですか?」とがちゃりドアを開けて正面の船井さんの顔を見た。目が死んでいて、全身に血を浴びている。俺は体が硬直するのを感じた。殺される!!!

「本当ですよ、だから出てください」と腕を掴まれた。船井さんは片手に花瓶を持っていて、俺を廊下に引き釣り出そうとしている。安田さんの姿も見えた。同じように血だらけで、花瓶を持っている。

ハッ・・・ハッ・・・・ハッ・・・ハッ・・・!

息を整える。大丈夫だ。俺を信じろ。

ハッ・・・ハッ・・・・ハッ・・・ハッ・・・!

いや、俺を信じるんじゃない、俺の妻を信じろ。

ハッ・・・ハッ・・・・ハッ・・・ハッ・・・!

「めんどくせえなあ」と安田さんが近づいてくる。花瓶を振りかぶったので、俺は船井さんの手を振りほどいて180度ターンした。窓は開けっぱなしになっており、胸の高さにある手すりだけを見た。走り出す。3歩か5歩、ダッシュした。「フッ!!」と強く息を吐いて踏み切った、そして手すりを超えることだけを考えた。

後は姿勢だ、そうだろ?ネットで調べた船の高さは55m、ここはせいぜい30mぐらいだろう。100mなんて恐怖心が作り出した幻だ。

空中に飛び出して、すぐに頭が下になった。ゴッ!!!と景色が吹っ飛んでいき、海面が一瞬で近づいてきた。コンクリとはいかなかったが、それでも手に強い衝撃があった。黒い海の中で、俺は自分が生きていることを感じる。愛する妻の所に、帰らなければならない。が、ウイルスにかかって無ければいいなあと思った。

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