血で書け、ダムを破壊しろ

連日体を使いまくっている。解体に使う筋肉はどこか特殊で、いままで鍛錬したことのない部位を酷使するようだ。体が重い、だが、なんとかブツは動いている。永遠に生まれるのではないかと思ったごみと荷物。それらがちょっとづつ動いて、まとまっていく。「なぜ、こんなことをしているのだろう?」と考えなくもないけど、やらなければいけないのはハッキリしているんだ。違法建築物が残っていては、生まれる話も生まれない。その証拠に、今日は朝から訪問者がいた。Kさんはモーターパラグライダーをしていたときに良くしてくれた人で「表をぶっ壊しているのが見えたから」と10年ぶりにお話しした。いろいろ土地の事とか、解体の事を話す。「電車があるなら、買わない方が良い」ということだ。至極当然で、当たり前のことだと思った。続いてモーターパラの師匠がやってくる。「ぶっ壊しているのを知ったから」ということだ。今後のことを話していたら「ここで民泊やればいいじゃん」という。いや、それができる物件じゃないですよというと「なんで?できるでしょ」と軽い。この軽さ、いつも救われている。そもそも、郵便局を退職してライダーハウスをやるってときも、Kさんからは「やめたほうがいい」と言われ、師匠は「いいねぇー」と言っていた。今日、たまたま2人とお会いして、似たようなリアクションなのが面白かった。きっといま、俺はあの時と同じように人生の分かれ道にいるんだろう。ライダーハウスが出来るなら、やる。それはまったく金にならないけど、俺はやるだろう。悪意の塊のような、無目的な行為。損とムダしか産まず、ごみと経費の発生装置。だけど無限に楽しくて、面白い場所を作ってやる。どこよりも狂っていて、それでいて秩序がある宿を。その為には、まずここを解体することだ。話は、道は、川と同じだ。ダムがあっては先に進めない。

血で書け

ライター業をまったくしていない。ありがたいことに、仕事は1つ続けさせていただいているのだけれど、ほとんどやっていない状態だ。だが、それでいいと思う。ライターとは、何だろう?自分には、何が書けるのだろう?ずっと考えて考えて考えて出た答えは「血で書け」ということだ。自分の傷、痛み、苦しみを、書け。文章はテレパシーだ。テクニックだけで伝わるのは、浅い。伝わる文章は、自分の血で書いたものだ。苦しんで、悩んで、傷ついた物に価値がある。そう、この解体作業のように。苦しんで、悩んで作った物を、心血を注いだ自分自身を。バキバキと解体してごみにする。これが苦しみでなくて何だ。だけど、苦しまなければ先に進めない。血で書け、ダムを破壊しろ。

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