最後の小屋の解体に着手する

ドリル片手に作りまくった建築物を破壊している。それも最後の段階に入った。この小屋が最後だ。

屋根に上ってガルバニウムの波板を剥がした。水漏れは一切なかった。藤門博の「ハンドメイドハウス」という伝説的な名著片手に作ったのだけれど、本当にできたんだなあ・・・としみじみ思う。

壁で荷重を支える

何度も書いているけど、ここを壊すのは本当に切ない。それゆえ、今日の朝起きた時はゆううつだった。やりたくないのだ。だから風が強くて、小雪が降ってきたとき「やめた」とすぐに決断できた。今日はゴミ捨ての日にする。コルトプラスで何往復も処理センターにもっていった。午前中はゴミも人も少なく快適に捨てれたが、午後になると収集車などプロがやってきてとてもやりにくい。ごみを捨てるなら午前に限る。そう思った。

長物を入れた時にルームミラーを破壊してしまった。なんとかプラ板を加工してくっつけたが、ぐらぐらする。こんなしょうもないことでも、メンタルが弱っているので凹んだ。早めに仕事を切り上げてゲームをしながら引きこもろうと思ったら、新しく買ったばかりのコントローラーが死んだ。こんな日もあるし、こんなものなのだろう。いま、人生の転換期なのだ。大きく動く時期には、こんなことが良くある。

夜は「坂道のアポロン」をアマプラでいっきに見た。いつか見ようと思っていたけど、いいアニメだった。菅野よう子は天才である。漫画で「ブルージャイアント」を読んだ。これもジャズの作品で、作者はあの「岳」を書いた人。ちくしょう、感動させるじゃないか。

片付けるべきところを片付けて、面白い作品を体に入れる。すると仕事がしたくなる。体からエネルギーが余っているんだろう。そろそろ、近いのかもしれない。渡り鳥がなんとなく飛び立つように、なんとなく仕事を始める時期が来ているのが分かるのだ。もちろんそれは気のせいに決まっているのだが、俺は「なんとなく」って感覚を舐めていない。なんとなくってのは、思考停止のまま直感で何かを決めているようなニュアンスに感じるがそうではない。おそらく思考の果てにたどり着いた無意識の結論なんだとおもう。それに直面したとき「それだ!」と無意識がサインを出しているのだ。なんとなく、に従え。考えるべき事項を考えつくしたのなら、答えにたどり着いた瞬間に電撃的なインスピレーションがやってくる。それに命をのせるのだ。カヤックでも怖いのはテトラポッドなどの人工物で、自然の岩などはあまり危険がない。せいぜい沈するぐらいで、命までは奪いはしない。なぜなら、そこには自然の流れがあるからだ。自然の流れは強く、不自然な角度でまがったりはしない。人間が意識的に導き出した論理的な結論なんてそんなものなのだ。不自然な決定はブラック企業の目標設定のように危険だ。自然に身を投じよう。ライダーハウスの閉鎖なんてのも、それに近い。

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