コロナ後の世界

前方100mの木陰に獲物を確認して俺は肩にかけていたレミンチェスターを下ろし近くの白樺に固定した。胸のポケットから慎重に弾を取り出し、音が出ないように込める。この距離ならばバレることはまずないが、手からは汗、呼吸は自然と抑えられた。対象のエリアは斜面になっておりバックストップとなっているから流れ弾の心配はない。だがこの瞬間の為に1か月、湿った雪の山を毎日歩いたのだ。スコープでのぞくと木の皮を取っているのだろうか、一心不乱に作業している、こちらに気付く気配はない。手負いにしてしまわないように、頭部にねらいをつけた。やさしく、そして残酷にトリガーを絞った。ガン!という音が谷に響いて、対象は崩れ落ちた。焼けた臭い。高揚したまま、それでいて慎重に近づいた。対象が近くになり、どんどん顔が肉眼でわかる、確かに死んでいるようだ、すこしホッとした。15歳ぐらいのメスだった。
布切れのような質素な着物に、栄養のない顔。それなので美人に見える。ウチのムラの女たちのように、無駄な贅肉が一切ない美しさだった。しばらく見とれていた。どんどん顔色が紫になり、我に返る。美しいまま、彼女を解体してあげよう。ハンターナイフを取り出して、肩甲骨の上から肌を切る。脂肪はほとんどなく、だが胸だけは膨らんでいた。おそらく子供を産んでいるのだろう。だからこそ、こんな危険な場所までエサを取りに来る。生きたまま捕獲できれば高い金になったのかもしれないが、新人ハンターとしては安全を優先したい。胸を正中線に沿って切り開き、腹のあたりで再び横に開いた。腸を取り出して捨てる。これで最低限は大丈夫。エモノの足を曲げて袋に詰める。それを担いだら腰に来てしまった。彼女の魂がまだ残っているような、そんな重量がのしかかってきて足を雪に埋めた。興奮状態なので、頭では休みを入れた方がいいと分かっているのに休めなかった。もし、近くに仲間がいた場合は格闘になる。そうなると命を落とすことも珍しくはない。死亡率が高すぎてまともな保険にすら入れないのが現状なのだ。なぜハンターなんてやっているのだろう?そんな疑問が湧く瞬間でもある。だが、体はベストなスピードで解体を続けていた。恐怖がそうさせたのだ。俺のハンターの師匠は、同じような状況でつがいの雄に攻撃され死亡した。その時、頭上から物音がした。
ガサ・・という物音に瞬時にナイフを構えて身構える。10m上の枝に何かが引っ掛かっているのが見える。無垢な肌色が見えた。どうやら子供のようだった。落ちないように縄でしばりつけてある。そのままほおっておけば、いつかは死ぬだろう。だが、子供でも生きている場合は高額だ。未経験ゆえのリスクを感じる。今は、やるべきではない。そんな当然の理屈を欲がかきけした。昨日ショップに置いてあった小型のモービルが気になっている。頑張れば買えない額ではない。気がついたら、木を登っていた。乱暴に荒縄で木にしばりつけている赤子の顔を確認する。まだ1歳か2歳ぐらいだろう。あ・・あ・・と笑っている。とてもかわいらしくてほっこりした。ロープを切り、小脇に抱えて地面に降りた。ザックに入っているエモノを打ってから何分が経過しただろう?もし、近くにオスがいたらこの状況はヤバイ。赤子をザックにほおり込み、きつく入口を絞った。とてもうるさい声で鳴いた。もちろん、この状況もヤバイ。
ザックを背負い立ち上がると足が地面にのめり込んだ。ヌオオ!と気合いをいれて歩き出した。1歩進むごとに、これは無理なんじゃないか?と思う。まだ国道までは3㎞はある。ほぼフラットとはいえ、日暮れまではあと数時間だ。ビバークはしたくない。装備はあるけど、オスが近くにいる雰囲気がある。雰囲気はただの直感ともいえるけど、傾く夕日、ざわめく小枝、遠くの声、こめかみに冷たい汗が流れる。休むな!と恐怖が囁く。
最初は投石だった。自分の右耳3㎝上空を破壊力たっぷりな石が通り過ぎた。「・・ィュン!!」という音が聞こえる。4M前方の雪にすぼっと何かが埋まった。それ大の穴もあいた。当たれば死ぬ、もちろん殺す気だろう。隣の樹木に倒れ込むように身を隠す。第2投がッチッツ!!と耳を削った。とんでもない破壊力!頭部に命中したら死ぬだろう。心臓の音がバクバクとうるさくビートした。あまりに大きくて、相手の気配を探れないほどの心臓音だった。

新型ウィルスが地球を2つに分けて数世代が交代した。人類の英知は自らの安全を守るという欲望にあっさりと負けてしまい「持つ者」「持たざる者」に分けられる。級世界では「持つ者」が金を握り世界を掌握していたが、現在では逆だ。ウィルスを「持つ」人間は街から排除され、山に追い立てられる。もちろん感染を防ぐためだ。どんなにワクチンを作っても、ウィルスはランダムに変異を繰り返し、人間の体に生き残る。どんな自然環境でも生き残り、アルコールにも耐性があり、空気中で数時間生き残るウィルスたち。毎日の神経質なウィルスチェックにも関わらず、どこからかウィルスは街に侵入してきた。そのたびに感染者は人権をはく奪されて追放される。山にはそんな人間たちの村が形成されているが、銃器どころか鉄すらも持たせてもらえないプリミティブな状態の人類には自然は驚異だ。だいたい死んでいく。そんな状態が数十年続いた。
そんな「持つ者」達の体内に抗体が生まれているんじゃないか?という説が議会で討議され始めたのが俺が就職活動に絶望を抱き始めた春だった。高校を卒業して免許を取得してもろくな仕事がありはしない。危険を冒して外に出る仕事しかなくて、猟師協会に入った。名前が書ければ誰でも入会できるこの組織には、まともな教育体系もなく、ただ、外でハントしてきた獲物を現金化するだけの価値しかない。最初の俺の仕事はおとりだ。先輩が金を出して俺を飼う、何も持たされずに「ホラいけ!」と山でケツを叩かれる。ひたすら木々の間を走る。するとどこからか投石や弓矢が飛んできて俺を殺そうとする。ほとんどは原始的な武器でしかなく、使用者の栄養状態も劣悪だからかわすことが可能だ。ただ、殺気だけはこもっている。逃げるルートをミスすると「持つ者」と接近戦になることもある。そんな時は先のとがった棒をこちらに向けてくるのだが、スピードさえ殺さなければ怖いことは無い。細い腕、浮き出た骨、目だけが鋭い。こちらは元気でかつ硬化繊維の服がある。そりゃまっすぐに刺されたら貫通してしまうかもしれないが、全力で走る相手にそれはとても難しいのだ。
逃げまくっているうちに師匠(と言う名の俺の飼い主)がガン!とレミンチェスターで撃ち殺してくれる。大抵1人から2人。生け捕りならば値段は5倍になるが師匠はそれをしない。「殺されるぞ」といつも危険を感じていた。さすが保身だけの生き物だと思った。人間。なんて醜いんだ。師匠はよどんだ目で俺を見ている。とくかく安全を第一に人を踏みつけて来た人間。こんな目でなければ人間を撃つことなどできないのだろう。「同じ人だが、あいつらは殺されるべき」という教育を受けてきて、それを疑いもなく信じ切っている目。プライドだけが高く、街でものけもの扱い。だから人間猟師になった。人間猟師は街では尊敬されている・・・ことになっている。本当は誰もやりたくないだけだ。昔の戦争では先陣を切ることが誉だったらしいが、それと同じ理屈だろう。誰だってやりたくないから、誰かにやらせる。その代り褒めてあげる。師匠や俺の様な「持つ者」ではないが「持たざる物」としても中途半端な存在にとってそれは麻薬だ。褒められて、認められる。プライドが満たされ充足する。それだけの為に同じ人を殺す。俺は師匠が心の底から嫌いだったけど、死んだ瞬間だけは評価している。師匠は、恋をしたのだ。

丁度15歳ぐらいのメスを追い込んでいたときだった。オスの姿は無く、飢えて発狂しているメスに餌を与えて眠らせた。「生け捕りできましたね」と俺は言った。「このまま協会まで運びましょうか?」と提案したが師匠はきっと殺すだろう。途中で蘇生して暴れられたら危険だからだ。師匠は何も言わないので「あ、俺〆ますか?」とナイフを取り出してメスの心臓に突き立てようとした。その手を止められて俺は師匠を振り返る。師匠は何も言わない。まともな教育すら受けてこなかった師匠は言葉をあまり発することは無く、だいたい怒鳴り声しか上げない。だから必死で師匠の表情を観察した。安全第一、じゃないならどうしたいのだ?師匠はゆっくりとフェイスガードをはずした。
禿げあがった頭部を山で露出する師匠。それだけで今が異常なのが分かる。師匠は何も言わずエモノを見ていた。その目はいつもの腐った魚のような目ではなく、10代の少年のような生気に満ちた目だった。俺はその目をみて背中に冷たいものが走るのを感じる。どう見ても異常事態。このまま逃げようかなと思う。美しいエモノに魅入られた師匠に付きあっていたら命が危ない。そうだ、逃げよう。そう判断して距離を置こうとした時にレミンチェスターを手渡された。
「見張ってロ」と師匠は言う。猟師にとって命よりも大事にしている銃を手渡す。どうゆうことなのか理解できないまま受け取り、言われた通りあたりを警戒した。背中に師匠が服を脱ぎ始めた気配と音。オイオイオイオイオイ・・・まじかよ・・・と俺は思う。そんな事をする時間なんて無いぞ。そろそろオスがやってくるぞ。俺はゆっくりと振り返り、肉塊のような師匠の背中にむかって銃を構える。あれほど警戒心の強い男の背中。大きな赤ん坊のような背中だった。そこに向かって銃を構えるが殺気を殺すことは忘れてはいけない。なんでもない日常のように、朝起きて歯磨きをするときのようになんでもなく、目の前にいる「持たざる者」は「持つ者」と性行している。そんなヤツはもう「持つ者」なのだ。ハンターナイフを銃に着剣し、薬きょうを装填するとカチャという小さな音が出たが師匠には聞こえないようだ。醜い黄門に向かって発砲した。
チン!という音だけが高く響いた。師匠がゆっくりと振り返る。さすが醜いまでに生き残る保身の塊だと感心した。俺のこの行為まで予想していたのだろう。そのまま突き刺したが、師匠は豚のような贅肉を震わせて反転。俺の突きを交わす。脇にさしてあったナイフを拾ったとおもったら俺に投げてくる。あらかじめ想定して練習していたような素早い動きだった。肩にナイフが刺さる。全裸の師匠と向き合って、俺は勝算は五分五分だと感じた。戦闘の経験が違いすぎる。銃剣と肩のナイフ、強化繊維の服を装備していても、裸の師匠に勝てるだろうか?お互いの距離を測りながら、いたずらに数秒が経過した。とても大切な時間がながれてしまう。このままきっ抗していれば、すぐにオスがやってきて2人とも死ぬ。師匠と和解するか?それともイチカバチかで突っ込むか?状況はとても良くない。「状況を好転させること」師匠のハンティングから見えてくる鉄則だ。教わったことは無いが、見ていればわかる。
俺は肩のナイフを引き抜いて、それを投げる姿勢になった。不意打ちではない限りかわされてしまうだろう。師匠は俺の未熟さを笑っているようだ。「さあ、投げろよ」と言っているみたい。そのナイフで状況は師匠に傾く。だから俺はエモノに向かってナイフを投げた。
ナイフはエモノの目に突き刺さった。腹でもなく、首でもない。目を狙ってビンゴ!上手く刺さった。美しく大きな瞳に醜いナイフ。師匠の目は再び十代のキラキラした瞳に戻り、怒りに変色する。しかし、その時には俺の銃剣が師匠の腹に突き刺さっていた。
浅い。だがすぐに引き抜いた。もみあいになるのだけは避けなければいけない。俺は背を向けて逃げ出した。足の速さだけは師匠に勝つ自信があった。銃もナイフも無く、傷があるなら逃げ切れる。きっとオスがやってきて師匠を殺してくれるだろう。
その夜に街まで還ることが出来た。師匠の事故を報告し、銃を譲り受けたことを説明する。こうして俺は猟師になれた。

だから今、こうして命を狙われてわかることがある。きっとこの先にトラップが仕掛けられているはずだ。絶対安全に、十分に状況を好転させてから戦いは始まる。こんなことができる「持つ者」はいない。背中の小さな命をまもるような攻撃だった。師匠。これ、あなたの子供?俺は状況が好転してきていることにニヤリと笑った。

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