タンジェント高木の呪いの名は愛

ちまちま~!!ホーッ!ホーッツ!!(両手をひろげて)あはは!びっくりした?あたしだよ!タンジェントの高木ちゃんだよ!いきなり5月16日のみに現れる近所の変態おにいさんのものまねでみんなのハートをブレイクしちゃった火線の延長した先にはキャンタマをご神体としてあがめる宗教団体の総本山があるのはもうおなじみ。あなたの大切なものは何ですか?って答えには大体電通がからんでる。「陰謀だ!」とサラシに日本刀の三島由紀夫セットで東大に殴りこめ。警視庁を占領しろ。責任は取らないから。

「人は愛によって生まれ、愛によって死ぬのよ」と私だけに見えている五十路の人妻、サチエが悲しそうな横顔で言う。その横顔からはほうれい線やシミが醜く見えて、ちったあ自己管理をしやがりやがれと思わないでもないけど「そうなんだ」と調子を合わせておく。「捨てちゃえばいいのに、それができないのよね」「それって呪いみたいな感じだね」「フフッ、そうね」とすべてを見透かしているような表情でサチエは言うのだが、まず鏡を見てからしゃべれと思った。

セコマの缶チューハイとからあげを「体には悪くない」となぜか信じ切っている私。得るよりも失うスピードの速さにおののきながら、今日もやっと日記を書くところまでたどり着く。この前買ってきた本には認知症の事が書いてあって、そこでは「上から壊れる壺」という表現があった。ツボとはつまり記憶力かつぼ八のどちらかであって、短期記憶が出来なくなること、もしくはつぼ八の上層部のただれについて言及しているのであった。仮に記憶のことだと仮定してみると、いま仕事で夜の8時、施設の利用者様はみんな寝ていてとても静か。そこに一人、昼夜逆転しちゃってる利用者様がやってくるのね。認知症の人にとって、起きた瞬間が朝なのだからそれは珍しくもなく、さらに数年はそこで生活しているのだけれど「今日やってきた」とおっしゃるのもいつもの事。数分おきに短期記憶のリセットがされるのだ。だから「そうですか、こちらでお休みください」と目の前のソファーに誘導して話を聴く。すぐに安心できる場所に帰ること。ここでは誰もが味方で、お金は一切いらないこと。迎えがすぐにやってくること。家族にもすぐに会えることを伝える。そりゃそうだ。誰だって恐怖だ。全然知らない空間に、数分おきに放り込まれるのだ。これ以上ないぐらい刺激的だろう。わたしの嘘が不穏をやわらげる効果があるなら価値がある。やがて恐怖はやわらぎ、天気や体調の話をする。すると利用者さんはこう言った「ところで、私どうやってここに来たんだっけ?」不穏が和らぎ、その瞬間の恐怖が無くなって、根源的な疑問にたどり着いてしまったのだ。無限ループから抜け出すことは幸せなのだろうか?自分の状態を認識することが正義なのだろうか?わたしには全く分からない。一つだけわかるのは、施設に入ること、入れることは=捨てるではないのだ。そこら辺を誤解無く伝えるには私の嘘はまだまだで、利用者さんの記憶は壺から流れ落ちていくのだ。くそっ、つぼ八に行きたい。

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